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佛師の本音(今回のまとめ)   6

永平寺名古屋別院様も 何本か下げ渡されました。
道元禅師様と一時代を過ごしたであろう五代杉で
佛像を彫られる決心をされたとなれば、
僧侶独特のロマンを感じずにはいられません。
私はそういった由緒ある頑固な五代杉を相手に
八躰を彫りあげたのです。苦労話はしません!
一言だけ言えば「手強かった!!」
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佛師の本音(今回のまとめ)   5

今回 永平寺様からの注文は福井県の本山
永平寺の境内に立っていた直径3~2m位の杉材(五代杉)
で彫るようにとの注文でした。
木にも寿命があります。境内に立っている杉も1000年を
超すものがあり、木の中が腐って空洞になっている
木も珍しくありません。落雷や山火事、強風、積雪等
長~い歴史を生きて、耐えてきたのですがやはり
寿命にはかないません。
樹医さんに木の診察をお願いし かなりの本数を
間引きしたそうです。

佛師の本音(今回のまとめ)   4

佛像が日本で造られ始めてから約1500年近くなりますが、
最初の頃は色々な種類の材を使っていたことでしょう。
しかし、彫刻材に適しているか否かは
段々と学習されていきます。
仏材の条件としては 大木になること、日本中に
広く分布していること、日当たりがいいこと、
色や香りが良いこと、あまり狂わないこと・・・
等にあてはまった材が今日も使でも使われているわけです。
例外として鹿児島県屋久島に育つ屋久杉の年輪の細かさは
桧の管材よりも細かく柔らかく 彫刻材としては最高の材です。
1500年の歴史の重みは知りえないところが多々あることでしょう!

佛師の本音(今回のまとめ)   3

本来仏を彫る材としては杉の木は用いません。
それは木の性質上 細かい彫りに適していないからです。
特に寒い地で育った杉は年輪が太く以上に堅く、
それに比べ年輪と年輪の間の部分はカスカスと
思えるほど柔らかいのです。

佛師の本音(今回のまとめ)   2

尊敬する道元禅師様にまつわる 佛像を八躰するご縁! 
現在佛師として生きているだけでも不思議を感じますが、
多くの佛師さん達から私に白羽の矢が立つのは
どのくらいの確立なのか?不思議でたまりません。
只々 感謝です。

佛師の本音(今回のまとめ)   1

2010年 永平寺様より講演依頼がありました。
岐阜県下に建ちます約1/2 曹洞宗の副住職様達の2泊3日の
研修修行の場によばれたわけです。
宗教のプロを相手に今は何を話したか殆ど忘れましたが
永平寺名古屋別院の監院老師(名古屋別院のトップ)
より声をかけられ、仏像制作の依頼をうけました。
これが御縁の始まりです。

納入物を仏像の中へ

このようにアルミ箔に包んでさらに和紙に包み
永平寺由来の納入物をタイムカプセルのように
胎内物として後世にたくします。

納入物-9 納入物-4

あらかじめ内刳りをした仏像にこのように納める。
右の画像は納入物を固定するために竹でとめたところです。

納入物-5 納入物-8

この後、接着する。
解体修理の時までこの状態が続きます。





納入物

今回制作した仏像に納めた納入物

納入物-1 納入物-2
納入物-3 納入物-6
納入物-7 納入物‐10
 
 



歴代の仏像の納入物は様々で髪の毛、歯、へその緒のようなものまで
納められている仏像もあります。
人の願いや祈りを納入物にたくして未来に発信した。

一葉観音

一葉観音とは曹洞宗の開祖道元禅師と深い縁で結ばれた仏

1227年、道元禅師は宋での修業を終え帰国の途についた。
その際、嵐に襲われ困苦を極めた時
禅師は一心に観音経を読誦する。
すると、波間より一葉観音が現れて風雨を鎮めた。
禅師は報恩の思いで舟板に一葉観音を刻み無事に
日本へ帰国することができた。

一葉観音 台座とも  一葉観音 台座なし

加藤老子

加藤黙堂老師とは戦災で焼失した名古屋別院を再建された中興の祖

永平寺名古屋別院は、1945年に戦災のため全山を焼失する。
その再建に立ち上がった人が当時名古屋別院の
副寺であった加藤黙堂老師である。
1961年に本堂の落慶を始めとし、庫院、
不老閣等を整備され別院としての景観を再現された中興の祖である。

加藤老師 加藤老師 拡大
しょうみょうあんブログ

福井 照明

Author:福井 照明
〔ふくい しょうみょう〕

名古屋で仏像彫刻をしています。

>仏師 福井照明 仏像彫刻工房
 「しょうみょうあん」ホームページ


>「末期ガンを告知されて」の記事をはじめから読む

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